ブラックパールの看板車輌とも言えるBPスーパークラウン。日本で有名な一台が海を超え、アメリカのセマショーに出展された。その輝かしいデビューの裏には、一人の男の協力があった。それがJOBデザインの城サン。メーカーの枠を越えて二人の男が手を組んだ時、何が生まれるのか。それこそ内海サンの口癖である「楽しいことが世界を変える」ことに違いないはず。アメリカの地にて、その一端を二人が語る。
編集部:まず対談を始めていただく前に、お二人がこのように親密になった経緯を教えてください。内海サンと城サンって接点が今までなかったように思うのですが……。
内海:今年の6月ぐらいにタイでアルファード&ヴェルファイアのミーティングを開催したのですが、その際、オーナーたちを集めるのに城サンにご協力いただきました。以前もお話しすることはあったのですが、それをキッカケに深い話まで相談するようになりましたね。
城:その後、タイでのお礼ということで、内海サンが九州まで遊びに来てくれたんです。その日の夜にボクは急性胃腸炎になって病院に運び込まれてしまいましたが(笑)。
内海:それで次の日はお店に行けなくなってしまったんですよね(笑)。ボクは城サンのことはずっと昔から知っていて、VIPスタイルで城サンの自宅ガレージが紹介されている記事を見て、「この人めっちゃカッコいい!」って思っていました。
城:イベントで初めて会った時の内海サンは、めちゃめちゃ腰低かったんですよ。ボクは実年齢よりも若く見られることが多くて、初対面でも風を切って向かってくる人が多いんだけど(笑)、内海サンは全然そんなことなかった。そこで、自分もメーカーとしてやっていきたい、と聞かされた。ボクは既にJOBデザインを立ち上げて4年ぐらい経っていたので、大変だからやめた方がいいのになぁ、と内心思っていましたが(笑)。
内海:その時のことははっきりと覚えていますよ。いちオーナー時代のボクにとっては城サンは雑誌の中の人だからめちゃめちゃ緊張しましたよ。それからボクもブラパルを立ち上げて、日本と並行してタイやアメリカにも手を伸ばし始めた時に、無意識に城サンの後を追っているなと気付いたんです。何かと城サンと縁を感じることが多いんですよね。
城:今回のアメリカ行きの飛行機も偶然同じ便、しかも前後の席だったことに驚いた(笑)。
内海:ありえへんですよね(笑)。城サンは日本のメーカーの中でもいち早くアメリカに進出した。それは本当に素晴らしい功績だと思っています。城サンが道を切り開いたイチローだとしたら、ボクらはそれに続く大谷になりたい。という話をしたら城サンに爆笑されました。
城:大谷って大きく出たなと(笑)。いや、もちろん冗談だけど、イチローと例えられるのはありがたいですよね。ボク自身はがむしゃらに走って来ただけですが、その姿を見て日本の人たちがやる気になってくれるって嬉しいじゃないですか。
2013年のセマショーに出展された城サンの40LS。その年はJOBデザインとして10周年のアニバーサリーイヤーで、幾多の困難を乗り越えて掴んだ栄光だ。ナイトミーティングやVIPフェスティバルなど行く先々のイベントでも、間違いなくこのクルマは主役だった。
編集部:今年、内海サンはBPクラウンを日本から持ち込んで、セマショーに出展しましたね。その出展も実は城サンが裏で支えてくれたとお聞きしましたが。
内海:実はプラチナムVIP(JOBデザイン北米代理店)が押さえていた屋外の展示スペースをブラパルに譲ってくれるという段取りになっていたのですが、セマショーの二日前ぐらいにマイク(ブラパルUSA)から、出展できないかもしれないと連絡があって。話を詳しく聞いてみると、元々その場所にはプラチナムのフーガを出展するつもりだったので、申請と実際の出展車輌の変更は認められない、ということだったらしいんです。もう泣きそうになりながら、深夜に無礼を承知で城サンに電話したんです。
城:その時はボクは作業をしていました。内海サンから話を聞いて思い出したのは、ボクのLSを日本から持ち込んでセマに出展した時のこと。その時も税関を抜けることができず、セマショー最終日前日まで立ち往生した挙句、ようやく抜けたと思ったら、最終日はクルマの移動禁止と言われたりと、トラブル続きでしたが、奇跡が重なってようやく出展できたんです。ボクも一時はどん底まで気持ちが落ちて、心が折れたので、内海サンの気持ちが痛いほど分かりましたね。電話を切ってすぐに、現地スタッフに連絡して協力をあおぎ、なにか良い方法はないかと必死に考えました。一晩明けて、スタッフから出展の許可が下りたと聞いた時はホッとしました。
内海:城サンがいなければどうなっていたことか……。アメリカへクルマを持ち込んでセマショーに出展することの大変さを痛感しましたね。
城:アメリカで仕事をしようと思ったら本当に大変だからね。ボクも昔からろくなことが起こらない(笑)。
編集部:城サンはプラチナムVIPと手を組んで、なんの問題もなくやっているようなイメージでしたが、実は苦労しているんですか?
城:プラチナムと出会う前は4年間ぐらいやりたいことがカタチにできず、足踏みを続けていましたね。プラチナム代表のケネディはその時からウチのエアロを買ってくれるお客サンでしたが、友人としての付き合いの方が深かった。だから信頼感はありましたね。さらにたまたまプラチナムに日本語を話せるスタッフがいたということもあって、ビジネスパートナーとして付き合うならコイツやなって。
編集部:内海サンはどんな経緯でマイクと手を組むことに?
内海:正式なパートナーとして手を組むことになったのは去年のセマから。以前からメールのやり取りはしていたのですが、顔を合わせたのはその時が初めてでした。直接会って話して、マイクの熱いハートを感じましたね。彼もボクの考え方を気に入って、「お前を信じる」と言ってくれました。城サンにもマイクのことで相談させてもらいましたね。
セマショーの屋外スペースに展示されたBPスーパークラウン。ブラパルの技術力とセンスを集結させた自信作だ。最終日のパレードランでは、内海サンとマイクが箱乗りして猛烈アピール。その後のアフターパーティやVIPフェスティバルでも、来場者の注目を集めた。
城:実はボクとマイクは古くからの友人。絶対にマイクはいいヤツだから信用してもいいですよと、内海サンにアドバイスをしました。
内海:クラウンを日本から持ち込む、という計画は去年のセマショーが終わった直後から考えていました。マイクにもそれを話したら、ノリノリで賛成してくれました。
城:ドレコンで叩き上げられた日本のVIPカーをセマショーに出展、というのは夢がありますよね。ボクも自分が作ったクルマをアメリカに見せつけたいという気持ちでLSをわざわざ日本から持ち込みましたので、内海サンの話を聞いてアリやなって思いました。元々VIPってないものねだりの塊じゃないですか。日本ではわざわざ北米専用車輌をベース車として輸入したり、そこまでいかなくても、トヨタ車にレクサスのエンブレムを付けたり。アメリカでもJDMパーツを付けたがりますからね。それで言ったらクラウンなんて、アメリカでVIPに詳しい人からしたら羨望の的ですよ。
内海:去年はマイクのLSの助手席に乗ってパレードを走ったのですが、沿道からたくさんの人が手を振ってくれている光景に感動しました。これはまさにアメリカンドリームやなって確信したんです。だから、翌年はクラウンを持ってきてアメリカ人の度肝を抜かせたろうと。城サンが協力してくれたおかげで、その夢を叶えることができました。ありがとうございます。
編集部:これを機に、今後もお二人で協力してやっていくとお聞きしましたが、具体的には?
内海:城サンは職人として極めていると思うのですが、正直露出することに恥ずかしさがあるのかなと(笑)。だからボクが前に出てサポートさせてもらえたらと思っています。そして、我々ブラックパールだけでは到達できない高みに一緒に連れていってもらいたいなと。
城:そうやってリスペクトしてもらえることはありがたいですね。
内海:個人の関係性だけではなく、二つのメーカーとしてもコラボできることはないか模索中です。VIP業界に旋風を巻き起こしてやりたいです(笑)。詳細はアメリカから帰国後、ゆっくり城サンと話し合いたいと思っています。
◉VIPスタイル編集部
初出:VIPスタイル2019年2月号
文=奥山 貴嗣 写真=奥山 貴嗣 / 内田 俊輔
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